TANAKAの歴史

貴金属を”多角的”な視点で語る。田中貴金属の長年の歴史・経験の中から浮かんできた、
貴金属の意外な事実や田中貴金属との関わりをコラム形式でご紹介しています。

HISTORY of TANAKA HOLDINGS vol.5

金の歴史 日本人と金

日本人と金のイメージ

昭和53年(1978年)4月の金の完全自由化後、悪質な業者はひたすら「儲かる」ともちかけ、金の知識のない消費者を勧誘しました。その結果、被害にあった方も多く、当社にも相談に来られるようになりました。
当時、海外の人からは「日本人は金音痴」ともいわれていました。金の統制期間が約半世紀にも及んだため、日本人は金を身近な存在として考えられなくなっていたのです。だから、金が解禁となっても外国人のような買い方を知らなかったと言っても過言でないくらいでした。
国情もさることながら、海外では金を長期の「資産」として購入するのが普通です。売り買いを繰り返すのではなく、子々孫々金を売らずに持ち続けることのほうを喜びます。フランスに「古い酒と古い友と古い金」という諺がありますが、どれも古いほうが価値があるということでしょう。
当社は「消費者が悪徳業者にだまされないようにするには、金知識の啓蒙が必要」と考え、金の基礎的知識を盛り込んだパンフレットを用意しました。
わが国で初めての本格的金ブームが到来したのは、その翌年の昭和54年(1979年)でした。

貴金属の雑学 プラチナの工業利用

プラチナの需要のイメージ

Johnson Matthey社のPLATINUM2010によると、2009年の世界のプラチナ総需要は工業用48%、装飾用43%、投資用9%となっており、前年と比較して、自動車触媒や産業用の需要が減少し、装飾用需要が高まりました。しかしながら、自動車触媒用と産業用をあわせると約48%となり、依然としてプラチナの工業用需要は高いものとなっています。

プラチナの工業用需要が増大したのは、プラチナ自体は反応せず、それでいて他の物質の化学反応を促進させる「触媒作用」が1812年に発見されてからです。この作用は、窒素酸化物の排出防止に利用され、今ではプラチナの工業用需要の60%以上が自動車触媒用に使用されています。
プラチナは融点が高く、膨張率も極めて小さいなどの特性があり、安定した金属として知られています。温度差で伸縮してはこまる「メートル原器」がプラチナ合金で作られていることは有名です。また、高い融点の特長を利用して作られた「プラチナるつぼ」は各種分析用器具として使われるほか、高品位ガラスやグラスファイバーを作るための装置材料として欠かせないものとなっています。
最近では、燃料電池開発で水素と酸素の化学反応を促進させる役目を果たしています。自動車メーカーが研究開発している次世代のエコカー「燃料電池自動車」の触媒に利用されるなど、クリーンなエネルギーを実現するための素材となっています。

TANAKAの歴史 プラチナとのかかわり

プラチナとのかかわりのイメージ

大正7年(1918年)8月、田中商店は株式組織となりました。2代目社長の田中一郎は、「金・銀地金(じがね)は値幅が少なく同業者も多い。それに単なる地金の売買ではおもしろくない。」と、プラチナの工業用需要を本格的に開発しようと考えました。
もともと当社とプラチナとのかかわりは古く、明治40年(1907年)の勧業博覧会に「プラチナるつぼ」や電極の理化学用製品を出品して表彰されたり、東京電燈の依頼で廃電球からプラチナの回収や「プラチナの細線」加工を行っていました。
ただ、こうした実績があっても金銀に比べてプラチナははるかに加工しにくい。そこで田中一郎は、昭和5年(1930年)にフランス人技師・キネー氏を招き、本格的なプラチナの工業用需要の開発に乗り出したのです。キネー氏はプラチナ細線と針の研究に着手し、その努力が国産第1号の「触媒用プラチナ網」となって結実しました。
プラチナは今でも自動車の排ガス対策に不可欠な素材です。キネー氏の研究成果はその後、現在世界一を誇る「金極細線」の技術へと継承されます。昭和11年(1936年)にはプラチナ・金精錬工場を東京・深川に新設するなど、田中商店の歴史はプラチナの工業用開発の歴史そのものといえます。