TANAKAの歴史

貴金属を”多角的”な視点で語る。田中貴金属の長年の歴史・経験の中から浮かんできた、
貴金属の意外な事実や田中貴金属との関わりをコラム形式でご紹介しています。

HISTORY of TANAKA HOLDINGS vol.3

貴金属の雑学 取引は24時間

金価格は現在、世界共通の国際価格となっており、毎日24時間、世界中のどこかで取引が行われています。香港、チューリヒ、ロンドン、ニューヨーク市場が世界の四大市場と呼ばれ、価格の指標的立場の市場として地位を確立しています。このほか、東京やシドニー、ドバイなどにもあります。
世界の主要取引所がある都市間には時差があります。日本や香港で取引が行われている時間帯には欧米では夜間で取引が行われておらず、日本国内の取引が終了する頃にはチューリヒが朝を迎えて市場がオープンし、つづいてロンドン、日本時間の深夜にはニューヨーク市場の取引がスタートします。日本など極東地域で取引されていた相場が欧米の市場に影響し、欧米の価格が、翌日には再び極東市場に引き継がれるなど、24時間休むことなく世界のどこかで取引が行われているのです。
当社はこれらの金市場の現物相場を中心に取引しており、当社発表の金価格は毎朝9時半にシドニー市場の相場を参考に決めるなど、1日4回値決めします。その際、海外のドル建て価格を円換算してお客様に発表しています。

世界の主要取引所の時差のイメージ

貴金属の雑学 引き金は芸者さん

日本は、世界需要の2割弱のプラチナを利用しており、そのうち4割強が装飾品です(出展:Johnson Matthey Platinum 2010)。なぜ、日本ではプラチナ装飾品の人気が高いのでしょう?
「日本のプラチナ装飾品好きの火付け役は芸者である」これが、三代目社長の田中淳一郎の答えでした。
芸者は、若いうちは羽振りはよくても、老後に備えて蓄財しなければなりません。しかし、客の男性にお金を求めることはいやしい行為とされていました。結局、換金の容易な貴金属装飾品をねだる習慣となったのです。
金の装飾品でもよいのですが、芸者はキンキラした成り金趣味は好まず、控えめでしかも金より高価なプラチナを選んだのです。しかも、プラチナはダイヤモンドをはじめ、宝石を引き立てる役目に適していました。
こうして、プラチナはかんざし、帯留め、指輪などの形で芸者が愛用し、それが次第に上流階級の婦人たちに浸透していったのです。

TANAKAの歴史 両替商からの出発

田中梅吉のイメージ

当社の歴史は明治18年(1885年)にさかのぼります。創業者は田中梅吉、当時32歳。現在の東京・日本橋茅場町にあたる日本橋区北島町に両替商「田中商店」を開いたのが始まりです。
仕事は、一銭銅貨や五銭銅貨を百円単位で袋包みにして、それを商家に百円あたり2~3銭の手数料をもらって渡すことでした。こうしたバラ銭は神社に集まったお賽銭でしたが、持ち帰るのは毎日深夜1時か2時。しかも、1回に数百貫(百貫は375kg)も手荷車に乗せて人力で運ぶ大変な重労働でした。まだ日本に自動車のない時代の話です。
それ以前の梅吉は、江戸時代に質屋の元締めとして有名だった江島屋で番頭を務めた後に独立。米問屋を経て金銀買入業者になります。家庭から指輪やかんざしなどを買い集め、それを貴金属地金商に売って利益を稼ぐ仕事でした。
金銀買入業者の商売仲間には、安田銀行(現在のみずほフィナンシャルグループ)の創立者である安田善次郎がおり、当社のメインバンクとは当時からの付き合いということになります。